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大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)623号 判決

亡宮本周次訴訟承継人兼本人 控訴人 宮本慶子

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 光辻敦馬

亡寺尾新蔵訴訟承継人 被控訴人 寺尾彦次郎

〈ほか六名〉

右七名訴訟代理人弁護士 滝井繁男

同 木ノ宮圭造

同 仲田隆明

同 重吉理美

主文

一  本件控訴及び当審において選択的に追加された控訴人らの請求をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

(一)  原判決を取消す。

(二)  被控訴人らは、各自、控訴人宮本慶子に対し金九〇万九七六〇円、控訴人宮本宜幸に対し金一五万一六二六円、控訴人宮本洋彰に対し金一五万一六二六円、及び右各金員に対する昭和五七年二月三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

(四)  仮執行宣言

2  控訴の趣旨に対する答弁

主文同旨

二  当事者の主張

次の通り付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

1  控訴人ら

(一)  被控訴人らの先代亡寺尾新蔵(以下「新蔵」という。)は、本件マンションを建築するにつき、本件請負契約の締結及び右に関する諸手続を全て被控訴人寺尾彦次郎(以下「被控訴人彦次郎」という。)に委ね、また、同被控訴人を被用者として使用していたところ、被控訴人彦次郎には、本件工事の注文または指図につき、後記(二)に記載の通りの過失があったから、新蔵は、民法七一六条に基づき、控訴人らに対し、損害賠償義務があったし、また、本件マンションを建築するにつき、被用者である被控訴人彦次郎の過失により、亡宮本周次(第一審原告)及び控訴人宮本慶子らに対し、八四九万一一〇〇円相当の損害(原判決四枚目表一〇行目から同裏八行目までに記載の損害)を被らせたから、新蔵は、民法七一五条一項本文によってその賠償責任があった。

(二)  被控訴人彦次郎の過失は次の通りである。

(1) 被控訴人彦次郎は、控訴人ら所有の東大阪市吉田七丁目二―一五の土地(以下「控訴人土地」という。)及びこの西に隣接する同所七丁目二―二及び二―九の土地の一部(本件マンションの敷地、以下「本件土地」という。)が軟弱な地盤であることを十分知りながら、控訴人土地の境界から僅か五〇センチメートルのところに、長さ二八メートルの基礎コンクリート杭六本を打ち、その杭の間の基礎部分約二〇〇センチメートルを掘削する必要のある鉄筋コンクリート四階建の本件マンションを建てる本件請負契約を新蔵の代理人として締結して右工事の注文をした。

(2) 右請負契約によると、本件マンションの建築については、控訴人土地の境界から五〇センチメートルのところに基礎部分のコンクリート壁を造る注文であるところ、右基礎部分のコンクリート壁の深さは一三〇センチメートルとなっており、その下二〇ないし三〇センチメートルの深さに敷くグリ石の敷設等を考えると、右コンクリート壁設置のためには、地表から約二〇〇センチメートルの掘起こしをしなければならないし、更に、右コンクリート壁を設置するためには、木枠を組まなければならず、その木枠の外側に二〇ないし三〇センチメートルの空隙を必要とするので、控訴人土地の境界から僅か五〇センチメートルのところに、本件マンションを建築するための基礎コンクリート壁を設置するには、控訴人土地の境界ぎりぎりのところまで深さ約二〇〇センチメートルに亘って掘起こす必要がある。しかるに、控訴人土地も本件土地も軟弱な地盤であるから、右の如き位置に基礎コンクリート壁を設けて本件マンションを建築する本件工事によって、控訴人土地上の建物(以下「控訴人建物」という。)に被害が発生することは、当然予想できたものといわなければならない。

しかも、被控訴人彦次郎は、大阪府土木部に技官として長年勤務し、現在不動産建設会社に勤務する専門家であり、本件請負契約による工事にともない控訴人建物に損害が発生することは、十分知りえた。

(3) したがって、新蔵の代理人である被控訴人彦次郎としては、右損害の発生を防止するために、右本件工事の注文に当たってはもとより、その工事中にも、最善の工事方法をとるよう配慮すべきであるのに、本件請負契約にはその点なんらの配慮もされていない。殊に、本件の場合、後記の如く、損害の発生を防止するためには矢板を打つ必要があるのに、被害が発生し始めたときでさえ、控訴人らが被控訴人彦次郎同席の場で、控訴人土地との境界に矢板を打つよう要請していることを知りながら、請負業者またはこれと一体である設計士に任せっきりにしていたことは、被控訴人彦次郎が格別の注文あるいは具体的な指図を行ったものと同視すべきである。

本件マンションの建築現場の地盤は極めて軟弱で水を含んでいたのであるから、本件マンションの建築工事による震動、地盤の掘削等による被害を他に与えないように矢板等による土留をすべきであった。矢板をもって土留をするのは極めて一般的な工法であって、本件でこれを使用しておれば、損害の発生は容易に未然に防止しえた。なお、矢板をもって土留をするについては、震動があって不適切であれば、無震動のアースオーガスト工法で土を掘り、その穴にコンクリートを流して固め、柱列壁を造ればよかったのである。

しかるに、大松建設は、右のような工事方法を工夫せず、「のり」を計算に入れないで、坪堀という安易な工事方法をとろうとしたが、被控訴人彦次郎は、その専門的知識から、右工事により当然控訴人建物に損害が及ぶことを知りえたのに、これを中止させることをしなかった。

(4) さらに、本件工事は、東大阪市の行政指導で中高層建造物を建てる場合、近隣住民との事前協議が必要であるにもかかわらず、被控訴人彦次郎は、控訴人らが同意しているとの報告書を提出して工事を強行した。控訴人らが被控訴人彦次郎に工事内容の説明を求めても、大阪の業者だから業者のところで説明をうけて欲しいと言って、何の説明もせず、一方的に工事を遂行した。もし、事前に工事内容の説明を受けていれば、控訴人らが懸念を表明し、専門家にも相談して質問した筈であるから、請負業者等の説明対応も変わってきて、別の角度から検討され、工事方法・設計等の変更があったものと思われる。

(5) また、控訴人土地と本件土地とは、もとは平坦な土地であったのに、控訴人土地上に控訴人家屋を建築する際に五〇センチメートルの盛土をしたのであるから、本件マンションの基礎部分のコンクリート壁を造るため、本件土地を一〇〇センチメートル以上掘削するには、建築基準法施行令一三六条の三四、五号により、地盤の崩壊を防ぐため、山留を設けなければならないのに、これを設けることなく工事を施工しているが、右工事方法は右施行令に違反するものであるところ、被控訴人彦次郎はこのことを熟知していたはずである。

(三)  新蔵が被控訴人彦次郎を排除してその妻澄子を代理人にしていたとするならば、専門知識を有するものが近くにいるのに、わざわざ素人を代理人に選任したことに過失がある。

(四)  新蔵は、控訴人土地との境界線に沿って溝を掘り、その側面の土中に土留を造ったが、右溝及び土留には、後記の様な瑕疵があるから、新蔵は、土地の工作物の占有者として、工作物の設置に関する瑕疵により、控訴人らに与えた損害を賠償する責任が有る。

すなわち、右溝及び土留は、本件マンション敷地の構成部分であるから、敷地占有者が即工作物占有者にほかならず、新蔵は、施工業者である大松建設とともに、右敷地を共同で占有していたものというべきである。けだし、本件マンション敷地は、新蔵が占有中のところ、マンション建築のために、その限度で大松建設も占有していたものであって、大松建設が新蔵の占有を排除して単独占有していたものではない。このことは、新蔵が、本件マンション建築工事につき、直接あるいは代理人たる設計士を通じて、工事現場に立入り、指示監督する強い権限を有していたことからも明らかである。

そうすると、右溝及び土留は、新蔵と施工業者である大松建設とが共同で占有する土地の工作物であり、新蔵は、占有者として、土地の工作物の瑕疵により生じた損害につき、責任を負わなければならず、右占有者が請負契約の注文者の場合、右責任は、無過失責任である。

ところで、右溝及び土留には、次のような瑕疵がある。

(1) 溝が掘られた場所は、軟弱な地盤であるにもかかわらず、なんら補強策が講じられないまま、しかも控訴人らの先代亡宮本周次(以下「周次」という。)の懸命の要請があったのに、素掘されている。その補強策は、矢板を使えば、極めて簡単にできることであり、矢板を使用する工法はもはや常識的なものとなっている。補強策の講じられないままの溝の設置は、たとえその長さが二メートル位であったとしても、震動の激しい工事現場では、設置に瑕疵があるものといわなければならない。

(2) 控訴人土地の土流、傾斜を防ぐための土留は、強度が不足して傾き、その目的を果たすことができなかった。そうすると右土留の設置に瑕疵があったことは明らかである。

(五)  大松建設は、昭和五六年五月、本件念書を差入れて、本件マンション建築工事に伴う控訴人建物の損傷を補修する旨約したが、その際、被控訴人彦次郎が新蔵の代理人として、右補修義務の履行を保証したところ、控訴人らは、新蔵及びその相続人である被控訴人らが右保証義務を履行しないので、被控訴人らに対し、これを填補する損害賠償責任の履行を求める。

(六)  周次は、昭和六三年三月三日死亡し、妻である控訴人宮本慶子が二分の一、子である控訴人宮本宜幸及び同宮本洋彰が各四分の一の割合で、その権利義務を相続により承継した。

また、新蔵は、昭和六二年八月二日死亡し、いずれも子である被控訴人寺尾彦次郎、同西野昭治、同吉川正吾、同松井キヨ子、同寺尾英治、喜多美代子、同寺尾澄子が各七分の一の割合で相続により、その権利義務を相続した。

(七)  よって、控訴人らは、民法七一六条、七一五条、七一七条等に基づき(右民法七一五条、七一七条に基づく請求は当審で選択的に追加されたもの)、また、大松建設の損害賠償債務に対する保証義務の履行として、被控訴人ら各自に対し、前記損害合計八四九万一一〇〇円のうち、控訴人慶子については九〇万九七六〇円、控訴人宜幸については一五万一六二六円、控訴人洋彰については一五万一六二六円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年二月三日から右支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被控訴人

(一)  控訴人の主張(一)は否認する。

被控訴人彦次郎は新蔵の息子として本件契約に係わりをもったことはあるが、勤めを持つ身であり、新蔵の指揮監督を受けて本件工事を遂行する仕事に従事していたわけではなく、使用者責任が問題になることはない。

(二)(1)  同(二)の(1)は否認する。

被控訴人彦次郎は新蔵から本件契約につき代理権を授与されたことはない。

(2) 同(二)の(2)のうち、、被控訴人彦次郎が大阪府土木部の技官であったことは認め、その余は否認する。

被控訴人彦次郎が大阪府土木部の技官であったからといって、請負人と同程度ないしそれ以上の知識を持っていたことにはならず、まして被控訴人彦次郎は新蔵の代理人ではなかったのであるから、被控訴人彦次郎の知識の有無と新蔵との過失との間に相当因果関係はない。また、そもそも不法行為に代理はありえず、被控訴人彦次郎の知識をもとに、それだけで新蔵の注意義務を論ずることはできない。

(3) 同(二)の(3)は争う。

控訴人ら建物の被害は、本件工事の注文内容即ち設計図自体の瑕疵によって生じたものではなく、山留(土留)工事という設計図に定められた工事を行うため、請負人がその判断で選択した工事の方法に起因して生じたものである。このような工事方法は、設計図に特別な規定がない限り、請負人が自由に選択しうることとされており、本件山留(土留)工事についても同様である。従って、注文者としては、特段の事情がない限り、請負人の裁量事項に関する工事についてまで責任を負わされるいわれはない。まして、本件では、注文者の新蔵は、建築工事の専門家である新家建築設計事務所に設計監理を委任しており、本件請負契約では、請負人が近隣の建物等に対する損害防止措置をとる場合には、右監理者である新家建築設計事務所の承諾を得て行うことになっていた。そして右山留(土留)工事は、右新家建築設計事務所の承諾を得た請負人である大松建設が、亡宮本周次らの承諾のもとに、その責任において施工したものであり、右につき、注文者側はなんら指示をしたことはない。

(4) 同(二)の(4)、(5)は争う。

右はいずれも控訴人ら建物の被害との間に因果関係がない。

(三)  同(三)は争う。

(四)  同(四)は争う。

控訴人ら主張のように、請負人に臨機の措置をも求めえたというだけで、工作物の占有者としての責任を負わなければならないとすると、民法七一六条において、注文者の責任を制限した趣旨が損なわれ、不合理である。

(五)  同(五)は争う。

(六)  同(六)は認める。

三  証拠《省略》

理由

一  当裁判所も、控訴人らの本件請求を棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、次の通り付加、訂正するほか、原判決の理由説示と同一(但し、原判決一一枚目裏一行目から一〇行目までの部分は除く)であるから、これを引用する。

1  原判決八枚目裏一行目から二行目の「のうち、後記PC抗の打設及び土留工事の不良に」の部分を削除し、同五行目から六行目の「被告の自認するところである。」を「当事者間に争いがない。」と改め、同七行目の「右事実、」の次に「原本の存在及び成立ともに争いのない甲第一六号証の一、二」を加え、同九行目の「証人」以下同一一行目の「一四号証」までを削除し、同一二行目の「第一五号証」を「第三号証、第一四、第一五号証、乙第一号証の一」と、同九枚目表二行目の「証人宮本宜」を「証人宮本宜幸」と各改め、同三行目の「同寺尾彦次郎」の次に「同内橋慶次、同広瀬良治」を加える。

2  同九枚目表七、八行目の「長さ二〇メートル、幅四〇センチメートル」を「長さ二八メートル、直径五〇センチメートル」と、同裏一、二行目の「同月二八日」を同年五月七日」と、同四行目の「深さ約一メートル三〇センチ」を「いわゆる坪堀りの方法で」と各改める。

3  同一〇枚目表二行目の「傾いたこと、」の次に「軟弱な地盤を相当程度掘削する場合、矢板を打込んで地盤を補強して、その掘削を行うことが一般に行われているところ、大松建設は、ボーリング検査の結果、本件土地及び控訴人土地が軟弱地盤であることを知りながら、右土留壁を作る作業において、右矢板で補強することなくブロック塀の下を掘削したこと、」を加える。

4  控訴人らは、被控訴人彦次郎は新蔵の代理人として、大松建設と本件マンション建設の請負契約を締結したところ、右工事の内容は、本件土地及びこれに接続する控訴人土地が軟弱な地盤であるのに、控訴人土地との境界から五〇センチメートルしか離れていない場所に、鉄筋四階建の本件マンションを建てるというものであるから、右境界ぎりぎりまで本件土地を深さ約二メートル掘らざるを得ず、そうすれば控訴人建物に損害が発生することは必然であるのに、被控訴人彦次郎は、右損害が発生することを知りながら、右請負契約を締結したものであり、右の点に過失があった旨主張する。しかし、本件マンションを建設するに当り、控訴人土地との境界線ぎりぎりのところまで本件土地を深さ二メートルまで掘削する必要があったからといって、後記の如く被害防止の方法のあった本件においては、そのことのみから、被控訴人彦次郎に本件工事の注文又は指図について過失があったとは、認め難く他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

却って、《証拠省略》によれば、被控訴人彦次郎は、新蔵から本件マンション建築のための包括的代理権を与えられ、マンション等の設計を専門とする株式会社新家建築事務所(以下「新家建築」という。)に対し、本件マンションの建築設計を依頼したこと、新家建築は、右設計を請負い、本件土地のボーリング調査をして、鉄筋四階建の本件マンションの設計を行い、その設計について被控訴人彦次郎の承認を得たこと、被控訴人彦次郎は、右依頼にあたり、隣接の家屋に被害を与えたり、近隣から苦情のないような設計をして欲しい旨指示したこと、被控訴人彦次郎は、新家建築から示された設計図等のうち、本件マンションの具体的な建築位置や規模、工事方法については、新家建築から示された内容を承認するにとどまり、右設計に当り、特別の指示注文をしたことはないし、また、新家建築から本件土地上に本件マンションを建築すれば、控訴人建物に損害を及ぼす旨の指摘を受けたこともないこと、被控訴人彦次郎は、大阪府の土木部技官をしていたが、測量士としての資格を有するだけで、建築士としての資格はなく、また、建築に関する知識を有していたものではないから、本件マンション建築の請負契約においては、新家建築を監理技師として指定したうえ、大松建設と本件マンション建築の請負契約を締結し、大松建設が新家建築の監理のもとに、本件工事を施工したこと、そして、被控訴人彦次郎が本件マンションの建築工事につき、設計図通りに本件マンションを建築するよう依頼した以外に、具体的にその工事方法の指図をしたことはなく、右具体的な工事方法はすべて大松建設に任せていたこと、なお、本件マンションの建築工事に当り、控訴人土地との境界線付近に矢板を打設する等の方法をとれば、控訴人建物に前記被害を与えるようなことはなかったこと、以上のような事実が認められ、これに反する当審における被控訴人寺尾彦次郎本人尋問の結果は措信し難い。

以上認定の事実によれば、新蔵から本件マンション建築のための包括的代理権を与えられていた被控訴人彦次郎は、大阪府の土木部技官をしていたが、中高層ビルの建築に関する専門的知識を有するものではなく、本件マンションの建築にあたっては、右新家建築に、その建築設計を依頼し、これに基づき、新家建築がその専門的な知識をもとに、本件マンションの建築設計をし、その設計に基づき大松建設が本件マンションを建築施工したものであって、被控訴人彦次郎が、具体的に工事の内容やその施工方法等を注文し又は指図したことはないから、被控訴人彦次郎には、本件マンション建築の注文又は指図につき過失はないというべきである。

5  さらに、控訴人らは、(一)大松建設は、控訴人土地との境界に土留壁を設置したが、土留壁の設置にあたっては、控訴人土地も本件土地も軟弱な地盤であったから、その境界線付近に矢板を打設するか、アースオーガスト工法で土を堀り、その穴にコンクリートを流して固めるなどの方法をとるべきであったのに、これをしなかったこと、(二)周次は、右工事につき、被控訴人彦次郎の同席の場において、右矢板を打つよう要求していたこと、(三)新蔵の代理人である被控訴人彦次郎には、注文主の包括的代理人として、他に損害が及ばないようにすべき義務があり、しかも、被控訴人彦次郎はその専門的知識から、大松建設の採った工事方法では控訴人建物に損害が発生することを十分認識できたのに、大松建設に矢板を打設するよう指示しなかったこと、その他種々の事情をあげ、新蔵の代理人である被控訴人彦次郎には、本件工事の注文又は指図について過失があったと主張するが、前記1に認定の事実に、《証拠省略》によれば、被控訴人彦次郎は、本件マンションの建築については、全くの素人であったので、被控訴人彦次郎は、本件マンションの建築設計をその専門家の新家建設に依頼し、ついで大松建設に対し、右新家建設の作成した設計図に基づいて本件マンションを建築するように注文したに過ぎないのであって、それ以上に、本件マンションの設計や建築工事の施工方法について具体的な注文ないし指図をしたことはなく、これについては専門家の新家建築や大松建設にすべて委せていたこと、そして、控訴人家屋に前述の如き被害が生じたのは、大松建設が本件マンションの建築工事に当り、控訴人土地及び本件土地が軟弱な地盤であることを配慮して、その境界付近に矢板を打つとか、その他の方法による充分な被害の防止措置をとらないままに本件工事を進めたことに起因するのであって、右工事についての被控訴人彦次郎の注文又は指図の過誤によるものではないこと、以上の事実が認められる。

控訴人らは、被控訴人彦次郎が、本件工事につき、これを請負業者や設計士に任せきりにしていたことは、本件工事につき格別の注文あるいは具体的な指図を行ったと同視すべきであるとか、被控訴人彦次郎には、大松建設の行った土留工事を中止さすべき義務があったと主張するが、前記認定の事実関係に照らし、控訴人の右主張は、独自の見解であって、採用できない。

そうすると、被控訴人彦次郎に本件工事の注文又は指図について過失があったとの控訴人らの主張は理由がない。

6  控訴人らは、新蔵は被控訴人彦次郎の使用者であるから、本件工事に関する被控訴人彦次郎の過失行為により控訴人家屋に与えた損害につき、これを賠償する責任がある旨主張するところ、本件全証拠によるも、新蔵が被控訴人彦次郎の使用者であった事実は認められない。

のみならず、本件マンション建築のための請負契約の締結及び本件工事によって、控訴人建物に前記損傷が生じたことにつき、被控訴人彦次郎に過失のないことは前記に認定したとこうから明らかであるから、新蔵に民法七一五条に基づく損害賠償責任があるとの控訴人らの主張は理由がない。

7  控訴人らは、控訴人土地の境界線に沿って堀られた溝、及び、その側面に造られた本件土留壁の設置に瑕疵があったために控訴人建物に前記被害が生じたところ、新蔵は右溝及び土留壁を大松建設と共同で占有していたから、控訴人建物について生じた右損害を賠償する責任がある旨主張する。しかし、本件における全証拠によるも、新蔵が右土留壁や溝を大松建設と共同で占有していたとの事実を認めることはできない。

却って《証拠省略》によれば、本件土留壁は、大松建設が本件工事に着工後間もなく、本件境界線上に設置されていた周次ら方のブロック塀や控訴人建物の玄関に亀裂が入ったことから、本件工事による右ブロック塀や控訴人建物の損傷の拡大を防止するために、大松建設がその責任と費用で、本件境界線上に設置したものであること、また、控訴人主張の溝は、右土留壁を設置するために掘られたものであって、その後埋め戻されていること、したがって、右土留壁や溝は、本件工事を施工する過程で、控訴人家屋やブロック塀の損傷防止のために造られたものであって、本件土留壁等の設置により控訴人家屋が損傷した当時は、右土留壁や溝は、本件工事を施工していた大松建設が単独でこれを占有していたものであり、新蔵が大松建設と共同で占有していたようなことはないこと、が認められ、これに反する証拠はない。

右に認定の事実によれば、本件土留壁及び溝は、専ら大松建設が本件工事を施工する過程において設置施工したものに過ぎないのであって、これらは右大松建設単独の占有に属し、新蔵が右土留壁等を占有していたことはないというべきである。

したがって、控訴人らの右主張は理由がない。

8  控訴人らは、本件念書により、大松建設が控訴人建物の損傷の補修を約束し、新蔵が大松建設の右補修義務を保証した旨主張するが、原審における亡宮本周次(第一審被告)本人尋問の結果、当審における控訴人宮本慶子本人尋問の結果はたやすく措信できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

却って、《証拠省略》によれば、右念書は、大松建設が、その行った本件工事により控訴人建物に損害を被ったとの周次らの苦情を受けて、右工事続行のため、周次らに作成提出したものであること、右念書には新蔵の記名押印があるが、右は、大松建設が右念書(但し、新蔵の記名押印前のもの)を昭和五六年四月二九日頃、周次方に持参したところ、控訴人宮本慶子から、周次の不在を理由に、その受領を拒否されるとともに、右念書に新蔵の記名押印を求められた(但し、右記名押印を求める理由は何等説明されず、単に記名押印を要求されただけである。)こと、被控訴人彦次郎の妻は、まもなく、大松建設の代表取締役松本二郎から、責任は一切大松建設が負うので、本件念書に記名押印をして欲しい旨頼まれ、新蔵及び被控訴人彦次郎の承認を得ることなく、右念書に新蔵の記名押印をしたこと、周次らは、同年五月七日、大松建設が差出した本件念書を受領し、その内容を確認したが、右席上話題になったのは、大松建設の補修の内容とその程度だけであるところ、大松建設は、周次らから要求され、右念書に補修の程度として、「但し、家屋一切の損傷」の文言を加入し、右加入箇所には、大松建設だけが訂正印を押印したこと、被控訴人彦次郎は、その妻から大松建設が持参した書類に新蔵の記名押印をしたとの事後報告をうけたが、その内容につき説明を受けていなかったため、本件念書の記載内容については全く知らず、本件念書により、控訴人家屋の損傷について、大松建設が周次らに約束した補修義務と同一義務を新蔵が負うとか、または大松建設の補修義務を保証したとは全く考えていなかったこと、被控訴人彦次郎の妻も、本件念書に新蔵の記名押印をする際に、これによって、新蔵が、控訴人家屋の損傷について、その補修義務を負うとか、または大松建設の補修義務を保証する意思のもとに、右記名押印をしたものではなく、単に、大松建設に右補修義務を確実に行わせるための単なる立会人の趣旨で記名押印をしたものであること、以上の事実が認められる。

右に認定の事実によれば、新蔵は、本件念書により、控訴人ら主張のように、控訴人建物の損傷を補修する大松建設の義務を保証したことはないというべきであるから、控訴人らの右主張も理由がない。

二  そうすると、控訴人らの請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないから、本件控訴及び当審において追加された控訴人らの新たな請求(民法七一五条、七一七条に基づく請求)を棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条に従い、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 東條敬 横山秀憲)

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